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制度・環境・文化

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「小谷設備」ができるまで

「小谷設備」ができるまで

父である先代社長は、もともと九州で生まれ育ちました。
集団就職で愛知に移住することとなり、当初は水道とは関係のない業界で就職。
様々な仕事を経て、拠点も転々とした後、現豊田市に来ました。

小谷設備として独立したのは昭和51年。
私が生まれてすぐのことでした。
当時は個人顧客向けの案件がほとんどで細々とやっていましたが、藤岡町で認定工事店に認められたことを皮切りに、入札にも参加できるようになり、事業が軌道に乗ってきました。

藤岡町での地盤固め徹底したことで業績も安定。
2005年に藤岡町が豊田市と合併したことで、今の小谷設備の形となりました。
家業を継ぎ、社長になるということ

家業を継ぎ、社長になるということ

子供ながらに父親の背中を見て憧れていたため、会社を継ぐ決意は自然にできていたと思います。
自分には姉しかいませんでしたし、継ぐなら自分だなと。

最初は修行の為、別の企業に勤めました。
その会社は20人規模の総合設備会社であり、給排水設備の勉強をしました。

この修業時代は、本当に大変でした。
高校も普通科の卒業であり、無知な自分が全くの未経験で飛び込んだので、学ぶことばかりです。
先代と、修行先が「もうそろそろいいだろう」と客観的に判断してくれたタイミングは結局8年後でした。

そして小谷設備には「役員候補」ではなく、現場職からのスタートで入社しました。
その後社長になるわけなのですが、現場だけではなく、会社・従業員をまとめていく存在にならないといけないということで、すごく大変でした。

父は簡単にやっているように見えていましたが、父と従業員の関係、自分と従業員との関係等、毎日が葛藤の連続でした。
小谷設備の未来をいっしょに

小谷設備の未来をいっしょに

がむしゃらに頑張り、たくさん悩みながらの道のりではありましたが、今では小谷設備は年間5億円の
売上を上げられる会社へと成長しました。

そして、今後その売上をより安定させ、また拡大していくため、人財の採用を決意しました。
おかげ様で豊田市や地域のみなさまからの信頼は厚く、案件を増やしていける手ごたえを確かに感じています。

仕事は、もちろん簡単なものばかりではありません。
夏の暑さや冬の寒さ等、過酷な現場もたくさんあります。
でもだからこそ、小谷設備のことを好きになっていただき、真面目に、素直に仕事に取組んでいただける方には、給与や手当でしっかりと応えていきたいと考えています。
手前味噌ながらも、当社の給与水準は他社と比較しても高いものであるという自負もあります(笑)

一生懸命仕事に取組み、時には社員旅行やゴルフコンペで息抜きをして、また頑張り給与を上げて。

小谷設備と、そして小谷設備で働く仲間と。
あなたの人生と、会社の未来を良いものにしていきましょう。

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